~2009(平成21年)年6月22日(月)毎日新聞より~

先生としてのアメリカ

●小田 実「何でも見てやろう」 講談社文庫(1958年)
「豊かすぎるアメリカと、そうでない日本との差異、それが問題なのだ」

●安岡章太郎「アメリカ感情旅行」岩波新書(1960年)
「私は受け身のかたちでしか物を見なかった」

●吉田ルイ子「ハーレムの熱い日々―BLACK IS BEAUTIFUL」講談社文庫(1961年)
「自分が何であるか、五年以上住んだアメリカを離れて考えてみたくなった」


アメリカへの反発とコンプレックス

●江藤 淳「アメリカと私」講談社文芸文庫(1962年)
「外国人はしばらくこの国に住んでいるうちに、いつの間にか米国人になる道を歩まされている」

●山崎正和「このアメリカ」河出文庫(1964年)
「ほんとうにアメリカ人になりきるためには、ひとは終わりのない道を生涯歩かねばならない」

●石川 好「ストロベリー・ロード」文春文庫(1965年)
「アメリカの歴史とは、ある家族、ある血縁の興亡史なのではないだろうか」

●猿谷 要「遙かなアメリカ―ある歴史家の回想」実業之日本社(1966年)
「私はただアメリカのことを学びたかった。アメリカとはどんな国かを知りたかった」

●桐島洋子「淋しいアメリカ人」文春文庫(1968年)
「たまたま私が居合わせた角度から、そこで目に映ったものをしか語りようがないのが、アメリカという国」

●阿川尚之「アメリカが嫌いですか」新潮文庫(1971年)
「私は両親から夢の国アメリカのことを、繰り返し繰り返し聞いて育った」


知りたいことを見に行く

●藤原正彦「若き数学者のアメリカ」新潮文庫(1972年)
「真珠湾においては確かに日本が一方的に悪かったかも知れぬが、それなら広島、長崎はどうしてくれる」

●西部 邁「蜃気楼の中へ―遅ればせのアメリカ体験」中公文庫(1977年)
「日本という山とアメリカという山は同一の山系に隣り合って聳えている二つの山なのだ」

●司馬遼太郎「アメリカ素描」新潮文庫(1985年)
「世界史上、こういう国がかつて存在したことがなかった」

●藤原新也「アメリカ」集英社文庫(1989年)
「アメリカ資本主義は『いつ、誰が、どこでも、大量に、享受できる、気持ちのよい、擬似現実』であることによって世界を席巻した」


私の旅

●堤 未果「ルポ 貧困大国アメリカ」岩波新書(1990年)
「単にアメリカという国の格差・貧困問題を超えた、日本にとって決して他人事ではないこの流れが、いま海の向こうから警鐘を鳴らしている」

●村上春樹「やがて哀しき外国語」講談社文庫(1991年)
「アメリカに来てから日本という国について、あるいは日本語という言葉についてずいぶん真剣に、正面から向かい合って考えるようになった」

●有吉玉青「ニューヨーク空間」新潮文庫(1991年)
「そこへ行けば何とかなる、何かが開けていくような、そんな気がした」

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